歴史ノート:ルネサンス

 ボッティチェッリ 『プリマヴェーラ(春)』の画像

ボッティチェッリプリマヴェーラ(春)』(1477-8年頃、ウフィツィ美術館

ヨーロッパ世界では、およそ200年に渡り、イスラム教徒とキリスト教徒が戦っていました(十字軍:中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のこと。)

 

十字軍を提唱したのは、ローマ教会のトップ、ローマ教皇でした。

ところが、十字軍が失敗したことにより、提唱者としてのローマ教皇の権威は落ちていきました。そして、十字軍によって外の世界を見た人々は、「今まで、ローマ教会が言ってたことは本当なの…?」と、不信感を持つようになります。

大航海時代までのヨーロッパでは、文化の中心はキリスト教でした。戦乱や疫病が続く混乱期の中世では「神に祈って守ってもらう」ことが何よりも重視されていたからです。学問も絵画も建築も、すべてが「神」中心の、画一化されたものになっていました。

十字軍以降、人々は、教会の言うことを離れて、もっと、自分たちで物事を考えていきたい、判断したい。と思うようになりました。教会中心の価値観から離れて、人間中心の価値観を思い出そうとしたのです。

「わたしたちは、キリスト教が入ってくる前、どういう生活をしていたの?」

そして、キリスト教が入る前(1000年以上前)の、ギリシアや、ローマといった、古代の文献を読み漁ることによって、人間らしさの研究がはじまります。これがルネサンス(文芸復興)です。

ルネサンスは、個人を重んじる、人間中心の価値観を思い出すこと。なので、個人の能力や個性がふんだんに尊重されていきます。= 芸術活動によって優れた人物がたくさん登場した。それまでの中世ヨーロッパの文化では、ほとんど人の名前が出てこない。頑張って作品を作っても「神の思し召し」「神があなたを創ったから、神がすごい」となっていた。

 

ルネサンスについて

 

ルネサンスとは?

【基本精神】ヒューマニズム人文主義の思想が広まった)

人間の理性や尊厳を尊重…ヒューマ二スト

人々は「キリスト教以前」を知るために、ギリシア・ローマの古典を研究。→ 芸術家は、教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な姿を描写した。

 

なぜルネサンスはイタリアで始まったのか

ギリシア知識人の亡命 

当時、オスマン帝国イスラム教)が、ビザンツ帝国キリスト教)を圧迫していたため、帝国内のギリシア文化の知識人、学者がイタリアへ亡命した。

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イタリアには、ギリシア語が読める、ギリシアの文献が読める知識人たちが豊富にいた。さらに、当時イタリアには都市がたくさん乱立し、都市は商業で潤っていたので、お金持ちの商人がいた。

→ だから、ルネサンスはイタリアではじまった。

しかし、ローマ教皇メディチ家に保護された芸術家たちは、教会批判やお金持ちの批判はできなかった=(イタリアルネサンスの限界点)

オスマン帝国とビザンツ帝国、ギリシア、イタリアの場所がわかる画像

イタリア=ルネサンス

【文学】

★・ダンテ(1265〜1321)『神曲イタリア=ルネサンスの先駆者。地元の人たちが読めるように、トスカーナ語で記述した

ペトラルカ(1304〜74)『叙情詩集』

古代ローマの作品を多く招集した、まさに古典ブームの火付け役

ボッカチオ(1313〜75)『デカメロン

14世紀の当時、ペストが流行しているフィレンツェを題材に、ペストの被害から逃げてきた男女が夜な夜な、自分たちの経験談・体験談を話す。それは喜怒哀楽・色と欲に満ちた内容だった。人間らしさが凝縮されたものだった。

★・マキャヴェリ(1469〜1527)『君主論

「このままイタリアが分裂していたら、近隣諸国に飲み込まれてしまう!やばい!」「イタリアを統一するには、ライオンの勇猛とキツネの狡知を兼ねた人物こそ必要だ」と、イタリア統一の必要性を説いた。

 

【美術】

★・ジョット(1266頃〜1337)ルネサンス絵画の先駆者

★・ボッティチェリ(1444頃〜1510)『ヴィーナスの誕生』・『春』

★・ミケランジェロ(1475〜1564)絵画『最後の審判』『天地創造』像『ダヴィデ像どちらもシスティナ礼拝堂に描かれた(ローマ教皇が選ばれるときには、この礼拝堂で会議が行われる)。

 ★・レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452〜1519)『最後の晩餐』『モナ=リザ※ヴィンチ村のレオナルドくん、という意味

★ ・ラファエロ(1483〜1520)多くの聖母子像を描いたアテネの学堂』(ヴァチカン宮殿)

 

ローマ教皇だってお洒落に暮らしたい(?)せっかくルネサンスを保護しているのだからと、その波に教皇も乗っていく…(^・^)

 

【建築】ルネサンス様式

★・サン=ピエトロ大聖堂(現在のヴァチカン市国にある、ローマ教皇が仕事をする場所。カトリックの主聖堂。この聖堂をルネサンス様式に立て直した。)

教皇レオ10世が資金調達のために、贖宥状(免罪符)の販売を許可。→これがのちにドイツ宗教改革を引き起こすきっかけになる。

・ブラマンテ(1444〜1514)サン=ピエトロ大聖堂の最初の設計者

サン=ピエトロ大聖堂 システィーナ礼拝堂

サン=ピエトロ大聖堂

 

 ★・サンタ=マリア大聖堂 ※ローマじゃなくてフィレンツェ

・ブルネレスキ(1377〜1446)サンタ=マリア大聖堂の有名な赤レンガのドームを設計

サンタマリア大聖堂

このように、ローマ教会の仕事場や、教会の聖堂にも、ルネサンスの建築様式が取り入れられた。

 

ヨーロッパに拡大するルネサンス

宗教改革につながる重要な思想】

北方ルネサンスネーデルラント

★・エラスムス(1469頃〜1536)16世紀最大の人文主義者 

愚神礼賛(ぐしんらいさん)聖職者や王の偽善・腐敗を批判

※彼は、教会などの保護を受けてなかったので、教会の批判を堂々と書けた。→のちのち、宗教改革につながっていく。

ファン=アイク兄弟油絵の技法を改良した

★・ブリューゲル(1528頃〜69)『農民の踊り』当時の農民たちの生活、服装、どんなお祭りをしていたのかわかる作品なので、歴史的価値が高い。

 

北方ルネサンスドイツ

デューラー(1471〜1528)宗教画で有名『四人の使徒

★・ボルバイン(1497〜1543)肖像画で有名『エラスムス』『ヘンリ8世像』

それまでの中世を含め、ヨーロッパでは個人にスポットライトを当てて絵を書くことはあまりなかった。一般市民のホルバインが、エラスムスの像を描いたことが重要。

 

北方ルネサンスフランス

ラブレー(1494頃〜1553)『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語

巨人の親子ガンガルチュアとパンタグリュエルを題材に、おもしろおかしく当時のフランスがどれだけひどい社会なのかを風刺した作品。

モンテーニュ(1533〜92)『エセー(『随想録』)

 

北方ルネサンススペイン

 ・セルバンテス(1547〜1616)『ドン=キホーテ

最初の近代小説と言われ、当時、没落しつつあった騎士を題材に、時代錯誤な考え方を描くことによって、当時の社会を批判した作品。

チョーサー(1340頃〜1400)『カンタベリ物語』社会風刺に富む

トマス=モア(1478〜1535)『ユートピア』架空の理想社

シェークスピア(1564〜1616)劇作家で、四大悲劇と呼ばれる作品を残した。

ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』

 

ルネサンスは発明の時代

ルネサンス三大発明(14世紀以降)

※「発明」と言っているが、実はもともとは中国の宋の時代に登場したものなので、正確に言うなら「改良」

火薬…鉄砲の発明 

 戦闘の主力であった騎士階級の没落を促す

羅針盤…方位を測定するための道具(コンパス)

 遠洋航海術を大きく前進させ、ヨーロッパ人の海外進出を可能にした

活版印刷…活字を組み合わせて原版を作る印刷技術

 グーテンベルク(1400頃〜68)が作った活版印刷術はこのあと大活躍する

 

天文学の発達

天動説地球中心説 (地球は宇宙の中心で静止し、その周りを他の天体が動いている)

 →中世キリスト教世界で支持される

地動説太陽中心説(太陽を中心に、その周りを地球やその他の天体が動いている)

 →中世キリスト教世界で支持される

ギリシア ヘレニズム、ローマ文化。世界史で最初に出てきた考え方。ところがその後、ローマ文化で天動説が登場。その結果、中世ヨーロッパでは天動説が採用され、地動説は違うとされていた。

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コペルニクス(1473〜1543)ポーランド 天体観測に基づいて地動説を提唱『天球回転論』

しかし、コペルニクスは教会を敵にまわすのを恐れ、気づいてもずっと黙っていた。そして、病気で死にそう、という年に発表した。

ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)イタリア

自作の望遠鏡で木星の衛星を観測 → 地動説を擁護

ガリレオはこれを発表したが、教会に脅され、嘘だと言わされてしまった。結局、地動説を認めてもらえず、生涯研究活動に没頭し、最後は目が見えなくなるくらいまで研究したと言われている。

 

 

 

出典・参考資料