歴史ノート:中世イタリア・スペイン・北欧史
中世南欧・北欧史の流れ
まとまらないイタリア
🇮🇹イタリアでは、神聖ローマ帝国との抗争状態が続いた上(イタリア政策により、神聖ローマ帝国がしつこく攻めてくる… )、イスラーム勢力も南に侵入してくるようになったため、国内は分裂状態で大いに乱れます。統一感のない状態が地方の放置につながり、ジェノヴァやヴェネツィア、ピサなどの有力な地方都市が、イタリアの主役として頭角を現していきます。
1)北部では都市国家が乱立
2)中部は教皇領
3)南部はアラブ → ノルマン人 イスラム教徒によって占領されていたのをノルマン人達が奪った
また、神聖ローマ帝国のイタリア政策に対して、「何度も神聖ローマ帝国に攻められるなら、いっそ神聖ローマ帝国の一部になった方がいいのでは?」といった意見(皇帝党)と、「イタリアを守り抜くべきだ」という意見(教皇党)のふたつに分かれ、イタリア国内の分裂はますます深まっていくことになりました。
中世🇮🇹イタリアまとめ
中世のイタリアは、小王国(公国)や都市の分裂が続くことになり、北部、中部、南部で全く違った社会になっていった。
イスラーム勢力を追い出し大西洋に進出、スペインとポルトガル
続いては🇪🇸スペインです。長くにわたりイスラーム勢力に支配されていた中世のイベリア半島では、キリスト教徒がイスラーム勢力からイベリア半島を取り戻そうという運動が続いていました。この運動をこのように呼びます。
国土回復運動[レコンキスタ](8世紀初頭〜1492)
この戦いの中から、カスティリャ王国とアラゴン王国というふたつの国が頭角を現し、カスティリャ王女のイザベルとアラゴン王子のフェルナンドが結婚したことで、スペイン王国が成立します。スペインの建国は恋愛結婚によるものだった
カトリック両王として共同統治したふたりは、協力してイスラーム勢力と戦い、イスターム勢力の最後の砦であった、ナスル朝のグラナダを落とし、イスラーム勢力をイベリア半島から追い出すことに成功しました。
また、🇵🇹ポルトガルはもとはカスティリャ王国の一部でしたが、カスティリャより早くレコンキスタを完成させました。こうして、イベリア半島にはスペインとポルトガルのふたつの国が成立します。両国はレコンキスタ完成後、ヨーロッパの西端という地の利を生かし、大西洋航路を開いて大航海時代の先陣を切ることになります。
中世🇪🇸スペイン・🇵🇹ポルトガルまとめ
国土回復運動(レコンキスタ)の完成前にポルトガルとスペインができた。
また、レコンキスタは常に戦争だった。指導者が必要だったため、イベリア半島では、中世の最初から王様の力は強かった。
北欧・北ヨーロッパ諸国の合体
1387年、デンマークではマルグレーテ女王が即位します。この女王の時代に結成されたのがカルマル同盟です。北ドイツ諸都市の連合、ハンザ同盟や、北ヨーロッパ商業圏に負けないように、という意図があった
複数の国が、同じ君主のもとで連合することを同君連盟といいます。その君主こそが、デンマークのマルグレーテ女王。カルマル同盟の締結と同時に、デンマーク連合王国が誕生しました。
↓ マルグレーテ女王
デンマーク王女マルグレーテはノルウェー王と結婚したが、父と夫が死んだため1387年にはデンマークとノルウェー両国の女王となった。1397年にはスウェーデン王を廃して、三国を同君連合の国家とした(カルマル同盟)。マルグレーテは摂政として実権を握った。これによってデンマークはノルウェー領であったグリーンランドも領有。こうしてデンマークはカルマル同盟の盟主として15世紀に最も栄えた。
中世🇩🇰🇳🇴🇸🇪北欧まとめ
北欧では、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンが、生き残りをかけて同君連合を作り、デンマーク連合王国が誕生した。
【このあとのカルマル同盟】
1520年、スウェーデンの独立派を粛清した「ストックホルムの血浴」により、同盟関係は決裂。スウェーデン貴族ヴァーサ家の蜂起により独立戦争が勃発した。1523年に🇸🇪スウェーデンはカルマル同盟から離脱し、スウェーデン王国が成立。一方、スウェーデンを失ったデンマークはノルウェーの支配を強化し、🇩🇰🇳🇴デンマーク=ノルウェー二重王国として再出発する事となった。
デンマークはノルウェーとの同盟を、1814年にスウェーデンに割譲するまで417年間維持させた。対するノルウェーは、1537年にカトリック派が追放され、プロテスタント化し、デンマークの従属国とされた。
【イベリア半島にあったナスル朝について】
イベリア半島最南部(スペインの南端)に13世紀から15世紀末まで存在していたイスラム王朝。
1492年、スペイン帝国に征服された。グラナダに首都を置いたため、グラナダ王国、ナスル朝グラナダ王国などとも表記される。国家の規模としては小さかったが、巧みな外交政策などを通じて独立を維持し、アルハンブラ宮殿にみられるような文化的遺産を後世に残した。
引用・出典・参考資料
- 映像授業Try it【世界史】 中世各国史3 南欧・北欧 (17分) - YouTube
- 一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた
- 【特装版】「エリア別だから流れがつながる世界史」 ヤマザキマリ 特別カバー
- 「地図」と「並列年表」でよくわかる 【超図解】日本史&世界史
- 明解世界史図説 エスカリエ 十一訂版
- デンマーク | 世界史の窓
- カルマル同盟 - Wikipedia
- マルグレーテ1世 - Wikipedia
- ナスル朝 - Wikipedia 等
※この記事は、『世界の国旗』ブログと、マリーアントワネットの国旗解説@Twitter のためにまとめている歴史ノートです。