歴史ノート:用語・概念などのメモ
世界史、この200年でもっとも重要な年号は?
複数の歴史家があげる3つの年号
- 1789(フランス革命)世界史における第一次平等革命
- 1917(ロシア革命)2年後ソ連崩壊 フランス革命を、もっとも偉大な革命だと言ったマルクス、そしれマルクスの思想を体現したレーニンらによる革命 第二次平等革命
- 1989(ベルリンの壁崩壊)社会主義が❌であったということ
- 1848も大事
オーストラリアの名前のはじまり
オーストラリアの名は、17世紀初めにスペインの探検家キロスが南半球に大陸の存在を認め「テラ・オーストラリス・デル・スピルツ・サントウ」(聖なる南の大地)と名づけたのに始まる。
ロシアのイヴァン雷帝(イヴァン4世)はなぜ「雷帝」なのか
気性が荒かったこともあるが、ロシアの魔除けの神「ペルー」。これが雷という意味で、それとの掛け言葉で「雷帝」と言った。
イヴァン雷帝を、かのスターリンは、先輩レーニンの先駆者であると言って崇めた。
人類史上最も残虐な国だったと言っても決して過言ではないソ連。その根底には、イヴァン4世の統治の仕方が大いに関係している。
・密告(共産主義国家の特有型)
・オプリーチニナ(秘密警察)※オスマン帝国から習った(?)
・レーピン(ロシアを代表する画家)
・聖ヴァシーリ聖堂(キプチャクハン国を突いたティムール15世紀 モスクワ大公国 モニュメント)
『ロシア史の勉強の仕方はジグソーパズル』キプチャクハン国が自立したモスクワ大公国(イヴァン3世の時代)を最初のピースにして、ペタペタ貼っていくパズル。
どの王のときにどこまで広がったのか。
ロシアの政治家は妻ではなくロシア正教会と一緒に公の場にでる。妻は政治の場に出ていくのではなく家にいる。だけどゴルバチョフは、妻と一緒に公の場に行くから、いまいち政治家としては信頼されなかった。チンギスハン(モンゴル)の影響。
主権国家概念のはじまり
イタリア戦争(1494~1559)の頃に、領土や外交官など、主権国家の概念がはじまった。※おもに 16世紀前半,イタリア支配をめぐるフランスのバロア家対ドイツ,スペインのハプスブルク家の対立を軸とした戦争。
オランダの繁栄
17世紀、江戸時代がはじまった。ちょうどこの頃に、世界史はオランダが主役になる。
17世紀はオランダの世紀。アムステルダムの世紀。(レンブラントの『夜景』)
スペインの歴史
スペインの歴史の特徴は、近代化の歩みがきわめて遅いこと。
大航海時代を生み出し、ハプスブルク王朝が「太陽の没することのない」広大な版図を誇ったように、世界に覇を唱えた時期もあったスペインだが、世界が近代に入ってからは国際政治の中心からは取り残されていた。
近代資本主義の発展は遅れ、中産階級が西ヨーロッパ諸国のように力をもたず、社会が古い関係を清算できず、スペインの歴史を振り子のような動揺の連続にしている。
久しくヨーロッパの周辺にとどまっていたスペインは、20世紀に至って社会の矛盾が爆発してスペイン内戦を惹起(じゃっき)し、その帰趨(きすう)は世界の注目を集めた。
スペインの近代史において顕著なものは地方分離主義。
公的な国家としてのスペインに対して、個人が愛着をもつのはガリシアやアラゴンなどの小祖国である。この分離主義は、カタルーニャやバスクなど言語的あるいは民族的な相違をもつ地方では、反カスティーリャ的感情さらに反中央集権主義として現れている。今日なおバスク独立運動は依然として継続している。
NIS諸国(New Independent States)通称 NIS (ニーズ)
1991年以前のソヴィエト連邦とその構成共和国だった地域。またこの地域に存在する国家の総称。
- 🇷🇺ロシア
- 🇧🇾ベラルーシ
- 🇺🇦ウクライナ
- 🇲🇩モルドバ
- 🇰🇿カザフスタン
- 🇺🇿ウズベキスタン
- 🇰🇬キルギス
- 🇹🇲トルクメニスタン
- 🇹🇯タジキスタン
- 🇬🇪ジョージア
- 🇦🇿アゼルバイジャン
- 🇦🇲アルメニア
ベネルクス3国
- 🇧🇪ベルギー
- 🇳🇱オランダ
- 🇱🇺ルクセンブルグ
ベルギー、オランダ(ネーデルランド)、ルクセンブルクの3か国の集合を指し示す名称。
3か国は歴史的に常に密接な関わりを持っていた。
3か国の領域は、かつてはネーデルラント(低地地方)と呼ばれていた。歴史的には中世末期にいずれもブルゴーニュ公国の支配を受け、近世初頭にはともにハプスブルク家領に入っていた。1814年から1830年の間にはウィーン会議の取り決めにより、現在の3国はネーデルラント連合王国として統合した。現在のベネルクスの分立が定まったのはさらに下って、ルクセンブルク大公国がオランダ王国との同君連合を廃止した1890年。
3か国の緊密な関係は、1921年にベルギー・ルクセンブルク経済同盟(英語: Belgium–Luxembourg_Economic_Union)が締結されたのち、1948年にベネルクス関税同盟が調印されたことにより始まる。1960年には関税に加え、労働力と資本を自由化したベネルクス経済連合が発足し、欧州共同体の起源となった。
※どの国も立憲君主制を採用している。周辺の国に比べて国土が狭いため、3か国は大国に対抗するために緊密な経済協力を行っている。共に欧州連合(EU)の加盟国。ブリュッセルやルクセンブルク市はEUの政治的な中心都市。
バルト3国
バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国。ロシアとロシアの飛地に接している。北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニア。ともに、北大西洋条約機構(NATO)・欧州連合(EU)および経済協力開発機構(OECD)の加盟国、通貨もユーロでシェンゲン協定加盟国。
三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命ののち、1918年に三国とも独立を達成。しかし第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書を発端としてソ連とドイツによる占領が続いた。
1940年 ソビエト連邦に併合され、ソビエト連邦構成共和国であるエストニア・ラトビア・リトアニアの各「ソビエト社会主義共和国」として連邦政府の強い統制下に置かれた。1941年に始まった独ソ戦によりこの地域はナチス・ドイツの支配を受けたが、1944年から1945年にかけて再びソ連に占領された。
戦後、ソ連は自らが得た戦前の旧ポーランド領の一部をリトアニアに編入し、現在に至るバルト三国の国境線が確定した。
1980年代後半、ソ連国内でペレストロイカが進展すると独立回復運動が高まり、1990年3月11日に独立を宣言したリトアニア共和国では1991年1月にソ連軍との衝突で死者が発生した(血の日曜日事件)。
その後、ソ連8月クーデター後の8月20日にそろって再独立を実現させ、同年12月のソ連崩壊へ大きな影響を与えた。
物語の舞台 いつ?
🇬🇧『シャーロック・ホームズ』(ロンドン)1881年
ベーカー街221B。ホームズはじめてワトソンと会う。ホームズはその風采を見ただけでアフガン戦争の復員兵だと見抜き、ワトソンを驚かせた。
🇬🇧『メリーポピンズ』(ロンドン)1910年
ロンドンの桜通りに住む、厳格で気難しい銀行家 ジョージ・バンクス氏の家に、雲の上からメリーポピンズが来る。※世界経済の中心となったロンドンのシティ「世界の銀行」大英帝国 が描かれている。
🇬🇧『ダウントン・アビー』1912年
イギリスの田園地帯にある大邸宅を舞台に、グランサム伯爵であるロバート・クローリーの一家と大勢の使用人の人間模様を描く。[第一話]1912年、豪華客船タイタニック号の沈没で、邸宅“ダウントン・アビー”の将来が危機に陥る。…伝統的な貴族の生活を守ろうとする一家だが、歴史は変化しようとしていた…。
🇮🇷🇯🇴🇸🇾など
『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(イラン、ヨルダン、シリアなどアラビアの各地)20世紀初頭
20世紀初頭、イラクとヨルダン両国の国境線を引いてイラク建国の立役者となり、“砂漠の女王”と呼ばれたイギリス人女性ガートルード・ベルの生涯を描いている。(アメリカ,モロッコ映画)
第一次世界大戦が始まり、中東を支配するオスマン帝国は崩壊しつつあった。チャーチル大臣を囲んでイギリスの軍人や中東専門家がオスマン帝国崩壊後の中東の領土の分配について話し合う。その一人は「アラビアのロレンス」と呼ばれることになるT.E.ロレンスだった。議論はもつれる。アラブの首長たちについて一番詳しいのは誰なのか。ガートルード・ベルという女性の名が上がる。だがマーク・サイクスは彼女をあしざまに言うのだった。…
1915年7月、ガートルードは英国アラブ局の東方書記官に任命される。
ガートルードは砂漠でファイサルとアブドゥラの兄弟と面会する。彼女は二人がやがて王になると言う。(実際ファイサルはイラクの、アブドゥラはヨルダンの王となる)
『エカテリーナ』(ロシア)18世紀
歴代のロシア皇帝の中で最長在位を誇り、最も領土を拡大するという輝かしい功績を残した最強の女帝・エカテリーナ(エカチェリーナ2世)。そんな歴史的にも有名な彼女の生涯を描いたドラマ『エカテリーナ』は、2014年からロシアの国営放送で2シーズンにわたり放送された大作。(シーズン3も放送予定)
エカチェリーナ2世 メモ
※ 20話での、感動の海戦のシーン(ロシア目線)は、チェスマの海戦(1770年)が描かれている
出典・参考資料
※この記事は、『世界の国旗』ミニサイト と、マリーアントワネットの国旗解説@Twitter のためにまとめている歴史ノートです。